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追悼 長澤志朗さんと戸沢山荘

志朗さんが本年821日秦野市の自宅にて亡くなった。享年75歳。死因は本年6月から治療していた胆管ガンの合併症による。

出会いは20年ほど前。志朗さん50代、僕はガイドを始めたばかりの30代。丹沢の沢登りのガイドの時などで度々、戸沢山荘で宿泊させていただき、付き合いは続いた。全国の沢を渡り歩き、釣りをしている料理人・木村八は「全国で戸沢の水が1番柔らかくておいしい」と断言する。2015年頃に戸沢山荘の当時の運営メンバーが高齢化したこともあり、小屋取り壊しの話も出て、自分が代表という立場になり、5年間、十数名の運営メンバーから会費をとり、先ずは取り壊し資金を作ろうということになった。もちろん、資金作りだけではなく、戸沢山荘で仲間が集まり語らうのが目的だった。今の丹沢で、ビジネス的に成り立っているのは戸沢山荘も加入している丹沢山小屋組合では鍋割山荘、どんぐり山荘、滝沢園くらい、組合以外だと、塔ヶ岳の尊仏山荘、丹沢山のみやま山荘、ヤビツ峠くらいだろうか。他にも丹沢には沢山の山小屋があるが、ボランティアや常連客の隠れ家的な存在で営業されているのが実際だと思う。かつて戦後間もない登山ブームの頃は戸沢山荘も活気があった山小屋で、一般に宿泊する登山者も多かったと聞く。

丹沢の現状として、自然ブーム、トレランやハイキングの流行、新東名高速の新秦野インターが表丹沢の玄関口、大倉の近くにできたことなどが登山者増加に繋がっている。一方、近年丹沢全体に広がったヤマヒル被害は有効な解決策がなく深刻だ。丹沢山小屋組合では登山者への安全面、衛生面、山小屋の維持費など、行政に資金援助を求めているが、大倉尾根、表尾根など登山者人口が多い山小屋が優先で、戸沢山荘前の駐車場、深刻なほど荒れた公衆トイレの立て直しが置き去りにされているのは残念だ。

「戸沢はいい男いい女の集まりだよなぁ」と志朗さんが口癖のように言っていたのを思い出す。10年くらい前にがんで胃を全摘した後も、戸沢での団欒をとても楽しんでいた。飲んでる時など、酔って同じことを言い続けたり、一見ただの酔っ払いに見えたが、実際は几帳面に帳簿をつけ、会計を取り仕切っていた。組合の総会や蛭対策の講習会などにも積極的に参加していた。数年前から比較的若いということで僕が山荘の代表になったが、実際は現地の秦野市に住む志朗さんが戸沢山荘をやりくりしていた。戸沢のメンバーで好き嫌いが激しかったり、気性が激しいメンバーもいたが、争いを好まず、なだめていた姿も想い出す。そんな人柄の志朗さんだったから皆んなに慕われた。亡くなった10日位後にご自宅に伺うと、奥様のシズ子さん、御子息の裕子さん、茂幸さんが「お父さん暇さえあれば、ちょっと見に行ってくると言って戸沢山荘に出かけていたよね」と懐かしそうに語っていた。今更ながら志朗さんの戸沢山荘への思い入れ、愛着を感じる。この3年間はコロナ禍でほとんど戸沢山荘で語らえなかったのが残念だ。将来、戸沢山荘を運営していくにしても、取り壊すにしても、この山荘を愛してやまなかった長澤志朗という男がいたことを忘れず、彼がやってきたことに失礼がないようにしていきたい。

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